人類、正しさなんてここにはないよ

好き嫌いの多いオタクのチラ裏 閲覧は自己責任

トイ・ストーリー4は、トイ・ストーリーを破壊するために作られた

先日、金曜ロードショートイ・ストーリー4がノーカット放送された。
初見の視聴者、1~3まですべて観ている視聴者はどう思っただろうか。


筆者は否定的である。
4、今からでもなかったことにならねーかな、と思っている。
(最新作であるからグッズや書下ろしやらトイ・ストーリーに動きがある度あの4の象徴的新ボー・ピープがいる…忌々しい呪い…

今更?と思うだろうが、我は4を観た後の落ち込みようから
世間の評価も検索せずに4に心を閉ざし、ようやく傷が癒えてきたのだ。

そこで最近見かけたこの記事。
ascii.jp

4は裏切りだという意見もあることにひどく納得したし、安心した。
なるほどね、たしかに。


考えるに、トイストーリー4がトイ・ストーリーファンを傷付けるのは大きな問題が2つある。

作品外の巨大ノイズ


まず根深い問題が、いや問題の根本そのものと言ってもいい。

作品外のノイズが作品の土台、根っこに関わるということ。

今作の脚本家ステファニー・フォルサム。

マイティソー・バトルロイヤル(ソー:ラグナロク)の脚本家として参加したが、クレジットに掲載を拒否された。
ノンクレジット参加は様々な事情で起こりそう珍しくもないが、彼女はSNSでそれに不満をぶちまけた。
(マーベルは脚本クレジットに記載すると約束したのに
全米脚本家組合がレギュレーション違反とかでそれを無しにした。
ふざけてんの?的なツイートがある)
‘Thor: Ragnarok’ Writer Denied Credit by WGA, Cries Foul – The Hollywood Reporter

本来4を作る予定だった、トイ・ストーリーの生みの親、
総指揮のジョン・ラセターはセクハラ(”不適切なハグ”)で降板し退社。
3の脚本チームも退社し、4には関わっていない。


トイ・ストーリー4を独立した作品単体として見るなら、
全体的に完成度が高いとさえ言える。

おもちゃの意志による末路の一つを示し。
フォーキーの存在で多様性のある社会を表現し、自立した強い女を描き、
ポリコレ的にも文句のつけようがない。

だが、これを3の後にトイ・ストーリーの正式なナンバリングとする事については、もう悪夢と言っても差し支えない。
殆ど悪意だ。
しかも半分は意図的でもある。
ジョン・ラセタートイ・ストーリーを破壊し、脱却するための4なのだ。
4がどれだけトイ・ストーリーの素晴らしさ、描いてきたことをぶち壊しにしたか。


ディズニーは商業的だ。
世間一般に広く受け入れられるべく、そぐわしさ、
クリーンさをアピールしたいのだろう。時に過度なほど。

例えばあの名作、パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズ。
主演のジョニー・デップは元妻にDVの裁判を起こされ、ディズニーは彼を降板させた。しかし裁判はジョニーの勝利に終わった。
ジョニーは自分を信じず切り捨てるようさっさと見捨てたディズニーに、大金を積まれてもパイレーツに二度と出るつもりはないと発言。
シリーズの掛け替えのない主人公の、取り返しのつかない喪失だ。

もちろん、罪は明るみに出され、裁かれるべきだ。
最後に勝つのは正義であってほしい。
理不尽な扱いを受けたなら、その苦しみが報われて欲しい。

セクハラと手を切るのは当然。女性脚本家を応援するディズニー(ピクサー)もいい。
しかしその立場を表明するため、復讐と名誉回復の舞台として、トイ・ストーリー4が選ばれたのは不幸とも思える。
復讐のために、盤石だった名作シリーズを使い潰すような行為だ。
だって中身が今までの世界観をそれを愛した観客ごと、否定し踏みにじるような作品だから。
なんでトイ・ストーリーなんだ……彼女のオリジナル作品じゃ駄目だったんですか……



www.cinematoday.jp

ずっと前この記事を読み、語られずに消されたボー・ピープが帰ってくるのだと期待した。

そもそも筆者はボー・ビープが好きだったので、3での退場はショックだった。

ボー・ビープは本来4のようなキャラクターではない。
かと言って2までの本来のボー・ビープも”おとなしく従順な都合の良い女”などではない。
ウッディに盲目でもなく、上品で落ち着きがあり、知的で、大胆さもある。

4でボー・ピープが魔改造されたのは、ただ、”クリーンで新しいトイ・ストーリー”の表明に、一人で道を切り開く強い女性像を描くためにピッタリだったからだ。

4では、キャラクターが唐突に変化したキャラクターが多くいる。

3の”内気で愛情深い優しい子ども”から、”どこにでもいるありふれた子供としてのクソガキ”へと反転したボニーも酷いが、
もっともキャラクターの尊厳が破壊されたのはバズ・ライトイヤーではないだろうか。
4の彼は、3までと同一人物とは信じられない。
ボー・ピープを活躍させるに当たり、ジョン・ラセタートイストーリーの象徴的キャラクターであるバズが目障りだったのではないか?
そう勘ぐりたくなるほどの酷さ。これは1〜3を追った視聴者にしか分からない。

トイストーリー3までの否定

もうひとつの問題は、4の大きなテーマ、おもちゃが老いると言う概念に潜んでいる。
完全におもちゃに主導権のある人生の選択。
それはたしかにおもちゃの一つの結末として、アリだと思う。

しかし、ウッディの結末。
”新世界へ向け旅立った”?? まるでポジティブに聞こえるが、実際はそうではない。
好奇心と活力に満ち、新しい冒険へ漕ぎ出した!ようなワクワクする印象は全くないのだ。

ただ、今の場所に底が見え、見切りをつける。
そして当てのない放浪の旅がはじまる。そんな雰囲気。

疲れ、諦めること、失望したウッディの姿は辛い。
おもちゃたちもパーツ肉体が老朽化し、人間のように精神がすり減り、老いていくのだと描いたのだ。


トイストーリー4はおもちゃに対する愛情、おもちゃと子供の絆、
子どもへの希望や信頼を、全て捨てた。

これまでの象徴的テーマだった”相棒”。

新しい子どもを相棒として、信頼を築いていける。
子供は所詮子供、期待してもそんなの幻想だと切り捨てた。

共に助け合い、困難を乗り越えてきたバズを、
問題を理解出来ないバカに描き、もはやウッディの相棒ではないと示した。

進歩的な考え方の持ち主ボー・ピープこそが、ウッディと対等であり新しい相棒に相応しいと描く。

そのために、
1の頃は無知で痛々しかったけれど、これまで成長してきた、頼もしい相棒のバズは間抜けに逆戻りさせた。
ウッディは絆を培った相棒のバズと(仲間達と)永遠に別れ、子供を信頼し友達になろうとすることも諦めた。

ファンの涙腺に訴えかける屈指の名曲「君はともだち(You’ve got a friend in me)」がこんなに空しく響くとは。


2つ問題があると言ったが、結局は1つだったかな。
トイ・ストーリー4は、トイ・ストーリーを破壊するために作られたのだ。


4の監督も明言している。「ウッディの冒険は終わった」。
トイ・ストーリー4はジョン・ラセタートイ・ストーリーを切り離すための作品だ。

これ単体でおもちゃの生き方の話とするならそれも良いだろう。
おもちゃが勝手に幸せを模索し旅立ってくれるなら、それは人間からすれば希望でもある。捨てたおもちゃなくしたおもちゃの罪悪感も軽くなる。

ただ。
絶望や苦しみを乗り越え、信頼と絆を描いてきたトイストーリーがこれを続編とするのは、あまりに悲しすぎる。

4を観た後は複雑な気持ちでやるせなくなるポスター。

さて、7月公開のバズ・ライトイヤーはどうなるか。





テーマから外れるが、作品の出来を全て売上(映画なら興行収入)で計れるとする層もいるからオマケ。

シリーズものの興行収入とは、前作の評価が大影響する。

例えば前作が超駄作だと、どんなに良い作品でもそもそも人が観に来ず、
良い評価が実際広まる前に終わってしまうことも多い。

超感動作はそれ自体より、次作品の方が実際の出来に関係なく有利。
前作の評判で人が集まるから爆発的に盛られたスタートを切るのだ。

その作品自体の本当の評価が付く前に公開終了となってしまえば、内容的には前作以下でも前作以上の興行収入が結果として残る。

興行収入の数字だけが全ての人々は、「1より2の方が売れてる。」と2が”優れている”と思い込んでしまうのだ。

条件の違う数字を思考停止で鵜呑みにせず、数字を出したファクターを考慮して比較しよう、人類。